【気まぐれ旅日記⑦】空気まで祀られる国

旅先で神社を訪れると、ふと気になることがあります。

「この神社は、何を祀っているのだろう」

ということです。

神社と聞くと、立派な社殿があり、その奥に神様がいるようなイメージがあります。

しかし実際に各地を旅していると、神社で祀られているものは本当に様々です。

例えば、大きな木。

神社によっては、この木そのものがご神体として祀られていることがあります。

ご神体とは、神様そのものというより、神様が宿るもの、あるいは神様の存在を感じるための対象のようなもの。

何百年、時には千年以上もの長い時間を生き続けてきた巨木。

その前に立つと、人間の一生では到底かなわない時間の重みを感じます。

「これは確かに、神聖なものとして大切にしたくなるな……」

と思わず納得してしまいます。

滝も同じです。

山の中に響く水の音。

絶え間なく流れ落ちる水。

その前に鳥居が立っている景色を見ると、昔の人がそこに神聖なものを感じた理由が、少し分かる気がします。

建物の中だけに神様がいるのではなく、自然の中に神様の気配を見出している。

日本の神社には、そんな場所がたくさんあります。

木をご神体として祀る。

滝をご神体として祀る。

山を祀る。

岩を祀る。

考えてみれば、日本の神社はかなり自由です。

海外の人から見ると、日本人の宗教観はかなり不思議に映るそうです。

初詣は神社へ行き、

結婚式は教会で挙げ、

お葬式はお寺で行う。

クリスマスも楽しみ、

お盆にはお墓参りをする。

日本人にとってはわりと普通のことですが、海外の人からすると、

「結局、あなたは何教なの?」

となるそうです。

確かに言われてみると不思議です。

神社では二礼二拍手一礼。

お寺では手を合わせる。

教会では静かに祈る。

それぞれの作法を何となく知っていて、場所に合わせて自然と使い分けている。

日本人からすると、

「その場所のやり方に合わせているだけ」

という感覚ですが、世界的に見ればかなり珍しいことなのかもしれません。

その背景には、日本に古くからある「八百万の神」という考え方があるのでしょう。

山にも神がいる。

川にも神がいる。

木にも神がいる。

海にも神がいる。

この世界には、数えきれないほどたくさんの神様がいる。

そんな感覚が昔からあったからこそ、新しい宗教や外国の神様が入ってきても、

「そういう神様もいるんだね」

と受け入れやすかったのかもしれません。

とはいえ、旅をしていると、

「いや、さすがにこれは自由すぎない?」

と思う神社にも出会います。

岐阜県下呂温泉にある加恵瑠神社。

名前の通り、カエルの神社です。

下呂温泉だから、げろげろ鳴くカエル。

……というだけではありません。

無事に帰る。

若返る。

お金が返る。

幸せが返る。

「かえる」という言葉に、様々な願いが込められています。

なるほど、言われてみれば縁起が良い。

縁起が良いのですが、初めて見た時はやはり思いました。

「カエルも祀るのか……」

巨木や滝は分かります。

神聖な雰囲気があります。

長い時間や自然の迫力に圧倒されます。

しかしカエルです。

ついにカエルまで祀られました。

日本の神様の懐、広すぎます。

そして、さらにその上を行く神社がありました。

山形県朝日町にある空気神社です。

ここで祀られているのは、空気そのもの。

そう、空気です。

木でもなく、

滝でもなく、

山でもなく、

動物でもなく、

空気。

目には見えません。

触れることもできません。

普段は存在すら意識しません。

しかし、人は空気なしでは生きていけません。

当たり前すぎて忘れてしまうけれど、なくなった瞬間に生きていけなくなるもの。

だからこそ、その恵みに感謝する。

そう考えると、空気を祀るという発想も、なんだか妙に納得してしまいます。

日本人は神様をむやみに増やしてきたのではなく、

大切なものや畏れを抱くものを、神聖な存在として祀ってきたのかもしれません。

その対象が木だったり、滝だったり、カエルだったり、空気だったりしただけ。

そう考えると、「八百万の神」という言葉は、思った以上に日本人らしい言葉なのかもしれません。

何かひとつの正解だけを信じるのではなく、

「これも大切」

「あれもありがたい」

「そこにも神聖なものがある」

と受け入れていく。

少し曖昧で、少しおおらかで、そして少し面白い。

旅先で出会う神社は、そんな日本人の感覚をそっと残している場所なのかもしれません。