【建築のひとコマ⑦】船を家にしまう町、伊根の舟屋群

こんにちは!長野で注文住宅・デザイン住宅を手がけている「ALOHA100」設計の中澤です。
建物の形や納まりに隠れた工夫を、設計を学んだ視点から紹介する「建築のひとコマ」。
今回は、京都府伊根町にある「伊根の舟屋群」です。

まだ空が白み始めたばかりの早朝、伊根湾を見下ろすと、海岸線に沿って小さな建物がずらりと並んでいました。

その数は、およそ230軒。

一見すると、ごく普通の木造住宅が水際に建っているようにも見えます。

しかし近くまで行ってみると、建物の1階部分が海に向かって大きく口を開けています。

ここは、いわゆる漁港のように「船は港、家は陸」と分けられた町ではありません。

車を自宅のガレージに止めるように、船を建物の中へ直接引き入れる。

それが、伊根の「舟屋」です。

海に面した船のガレージ

舟屋の1階は、もともと木造船を収納するための場所でした。

湾に面した妻側を大きく開放し、内部には海から続く石敷きの斜路を設けます。

漁から戻ると、そのまま船を建物の中へ引き上げ、雨風から守りながら船体を乾燥させていました。

現代でいう「インナーガレージ」の船版です。

ただし、現在の感覚で舟屋全体を「船と一緒に暮らす住宅」と考えると、少し違います。

舟屋の2階は、もともと網を干したり、漁具を置いたりするための簡素な空間でした。

そして、実際に家族が暮らす主屋は、舟屋とは別に道を挟んだ山側に建てられていました。

つまり伊根の暮らしは、

「海―舟屋―道―主屋―山」

という断面で成り立っています。

海側には漁のための舟屋。

山側には日々の生活を営む主屋。

その間を細い道が通り、限られた平地の中に、仕事と生活に必要な場所が無駄なく並べられています。

舟屋だけが特殊なのではなく、海から山までを一体として使う集落全体が、ひとつの建築のように見えてきます。

道の先に海がある

町を歩いていると、建物と建物の間から突然、青い海が現れます。

道路から海までは、ほんの数メートル。場所によっては細い路地が、そのまま水面へと消えていくように見えます。

一般的な町では、道路が人や車を運ぶ動線になります。しかし伊根では、海もまた大切な動線です。

陸側の玄関から道へ出るように、海側の開口部から船で湾へ出ていく。

舟屋には、陸と海の二つの玄関があるともいえそうです。

家に車を止め、道路へ出ていく。

舟屋に船を収め、海へ出ていく。

使う乗り物が違うだけで、建物と移動手段の関係は、私たちの暮らしと意外なほどよく似ています。

だからこそ伊根の舟屋は、珍しい伝統建築でありながら、その仕組みを直感的に理解できるのかもしれません。

この場所だから、成立した建築

もちろん、どの海岸でも舟屋を建てられるわけではありません。

伊根湾は三方を山に囲まれ、湾口に浮かぶ青島が外海からの波を和らげています。

さらに干満差が比較的小さく、年間を通して海が穏やかです。

背後には急な山が迫り、建物を建てられる平地はわずか。

その一方で、目の前の海は岸からすぐに深くなっています。

平らな土地が少ないなら、海際まで使う。

穏やかな海があるなら、そこを船の出入口にする。

舟屋は奇抜な発想から生まれた建築ではなく、伊根の地形と漁業の暮らしに向き合った結果として生まれた、極めて合理的な建築なのだと思います。

使われ方を変えながら残る舟屋

時代が進むと、漁船は木造からFRP製へと変わり、大型化していきました。

船体を毎回引き上げて乾燥させる必要がなくなり、舟屋の中に収まらない船も増えたため、現在は建物の前に係留されている船も多く見られます。

一方で、舟屋の2階は居室へ改修され、1階も漁具置き場や作業場、宿泊施設や店舗など、さまざまな形で使われるようになりました。

本来の役割は少しずつ変わっています。

それでも、建物が海に向かって開き、暮らしと海をつなぐ構成は今も変わりません。

伊根の舟屋群を眺めていると、「建物は陸の上につくるもの」という当たり前が少し揺らぎます。

ここでは海は、建物から距離を取るべき存在ではありません。

仕事場であり、道であり、庭であり、玄関先でもあります。

海を遠ざけるのではなく、建物の中まで迎え入れる。

伊根の舟屋群は、美しい昔ながらの町並みであると同時に、その土地の環境と暮らしを、そのまま建築の形にした集落でした。