【気まぐれ旅日記⑫】寝たまま国境越しに会話?岐阜と滋賀を隔てる一本の溝

こんにちは!長野で注文住宅・デザイン住宅を手がけている「ALOHA100」設計の中澤です。
旅先で出会った景色や歴史、思わず立ち止まった場所を紹介する「気まぐれ旅日記」。
今回は、岐阜県と滋賀県の県境にある「寝物語の里」を紹介します。

「寝物語の里」
なんとも昔話のような、少しロマンチックな名前ですよね。
岐阜県から滋賀県へ向かう途中、この名前が気になり、立ち寄ってみることにしました。
しかし、現地に到着して最初に思ったのは、
「……ここで合っているのかな?」
ということ。
昔ながらの宿場町が残っているわけでも、目を引くような大きな建物があるわけでもありません。
道路脇に石碑といくつかの標柱が立っているだけで、知らずに走っていたら、そのまま通り過ぎてしまいそうな場所です。

石碑には、「近江美濃両国境寝物語」の文字。
現在は岐阜県と滋賀県の県境ですが、かつてここは、美濃国と近江国を分ける国境でした。
では、その国境はいったいどこにあるのでしょうか。
石碑の左を見てみると、その答えはすぐに見つかりました。

左に「岐阜県」、右に「滋賀県」。
その間を一本の線のように延びる、細い溝。
なんと、この溝が現在の県境であり、かつての美濃国と近江国の境でもあります。
「国境」と聞くと、大きな川や険しい山、あるいは立派な関所のようなものを想像します。
ところが、ここにあるのは、ひとまたぎできそうなほどの小さな溝だけ。
あまりにさりげなさすぎて、標柱がなければ県境だとは気づきません。
しかし、ここが「寝物語の里」と呼ばれる理由は、この小ささにありました。
当時の風景を想像すると、このような場所だったのでしょうか。

イメージパース描いて、と今流行りのAIに頼んでみました。
かつて、この溝を挟んで、美濃側と近江側にそれぞれ旅籠が建っていたといいます。
二つの旅籠は、国境を挟んでいるとは思えないほど近い距離にありました。
そのため、別々の国の宿に泊まっている旅人同士が、布団に入ったまま話をすることができたそうです。
寝ながら、国境を越えて会話ができる。
そこから、この場所は「寝物語の里」と呼ばれるようになりました。
今でいえば、片方は岐阜県の宿、もう片方は滋賀県の宿。
違う県に泊まっているのに、まるで隣の部屋にいるような感覚で会話ができるということになります。
「国境」という言葉から受ける印象とは、ずいぶん違いますよね。

こちらは、歌川広重が描いた『木曽海道六十九次之内 今須』。
よく見ると、建物が並ぶ間に「江濃両国境」と書かれた標柱が立っています。
「江濃」とは、近江国の「江」と、美濃国の「濃」。
その近くには「寝物語由来」と書かれた看板も掲げられ、旅人たちが行き交う当時の様子が描かれています。
現在の風景だけを見ていると、ここに二つの旅籠が並んでいた姿は、なかなか想像できません。
しかし、この浮世絵と見比べてみると、石碑だけが残る静かな場所に、屋根の連なるかつての宿場の風景が重なって見えてきます。
目の前の溝を挟んで、それぞれ違う国の人々が暮らしていた。
それでも夜になると、国境など関係なく、旅籠から旅籠へと旅人たちの話し声が聞こえていたのでしょう。

溝の片側は岐阜県、もう片側は滋賀県。
わずか数十センチしか離れていないのに、昔でいえば美濃国と近江国、二つの国に分かれています。
今なら、一歩で越えられる県境。
けれど、この一本の溝は、東西からやって来た人々が出会い、言葉を交わす境目でもありました。
寝物語の里には、立派な建物も、圧倒されるような景色も残っていません。
あるのは、小さな溝と石碑だけ。
それでも、浮世絵や当時の逸話を知ったうえで眺めてみると、かつてここに旅籠が並び、夜になると国境を越えて話し声が聞こえていた風景を想像できます。
車で走っていたら、ほんの数秒で通り過ぎてしまうような場所。
そんな小さな痕跡に立ち止まり、かつての風景を想像してみる。
こうした出会いも、気まぐれな旅の面白さなのかもしれません。




