【建築のひとコマ①】熱を操る建築、韮山反射炉

こんにちは!長野で注文住宅・デザイン住宅を手がけている「ALOHA100」設計の中澤です。

前回まで「新人奮闘記」シリーズを進めてきましたが、研修期間も終わり設計として本格スタートしたということで、今回からは新シリーズを進めていこうと思います!
建物の形や納まりに隠れた工夫を、設計を学んだ視点から紹介する「建築のひとコマ」。
今回は、静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」です。

伊豆の国市を走っていると、のどかな風景の中に、レンガ造りの高い塔が突如として現れます。

まるで巨大な煙突のようにも、少し変わった形のレンガ建築のようにも見えるこの建物。

それが「韮山反射炉」です。

世界遺産として知られる場所ですが、そもそも何のためにつくられた建物なのか、名前を聞いただけではなかなか想像できません。

実はこの建物、鉄を溶かし、大砲をつくるための炉。

人が暮らすための建築ではなく、大砲を製造するためにつくられた、幕末の工場なのです。

黒船に備えるための工場

韮山反射炉の建設が進められたのは、江戸時代末期。

アヘン戦争やペリーの来航を受け、日本では外国船に対する海防の強化が急がれていました。

そこで韮山代官の江川英龍が幕府に建言したのが、西洋式の大砲を国内で製造するための反射炉。

もともとは下田に建設される予定でしたが、建設地にペリー艦隊の水兵が立ち入る事件が起こったため、韮山代官所に近い現在の場所へ移されました。

その後、江川英龍の死を乗り越え、息子の英敏が事業を引き継ぎ、1857年に完成。

韮山反射炉では、1864年に幕府直営の反射炉としての役割を終えるまで、鉄製の18ポンドカノン砲や青銅製の野戦砲などが鋳造されました。

実際に稼働して大砲を製造した反射炉として、国内で唯一現存するものです。

歴史だけを聞くと、外国の脅威に備えてつくられた軍事施設という印象が強くなります。

しかし建物を眺めていると、それ以上に気になったのが、

「なぜ、このような形をしているのだろう」

ということでした。

そもそも“反射炉”とは?

反射炉という名前を初めて聞いたとき、私は金属や光を反射させる施設なのだろうかと思いました。

反射させているのは、炉の中で発生する炎と熱です。

鉄を溶かすためには、千数百度という非常に高い温度が必要になります。

そこで反射炉では、燃焼室で発生した炎や熱を、溶解室の浅いドーム状の天井に当てます。

天井に当たった熱を下方向へ反射させ、溶解室に置かれた鉄へ集中させることで、高温を生み出していたのです。

この仕組みから、「反射炉」と呼ばれています。

設計を考えるとき、天井の形は室内の印象を大きく左右します。

高い天井なら開放感が生まれ、低い天井なら落ち着いた空間になる。

しかし韮山反射炉における天井は、人がどう感じるかではなく、熱をどこへ届けるかによって形が決められています。

浅いドーム状の天井も、印象的な外観をつくるために採用されたわけではありません。

鉄を溶かすために必要な温度を、限られた燃料で効率よく生み出すための形です。

建物の形には、それぞれ理由があります。

韮山反射炉は、その理由が非常に分かりやすく表れた建築だと感じました。

高く伸びる煙突にも意味がある

韮山反射炉で最も目を引くのが、空へ向かってまっすぐ伸びる4本の煙突です。

炉体と煙突を合わせた高さは、約15.7メートル。

近くで見上げると、写真で見る以上に高さを感じます。

この高さも、単に煙を遠くへ逃がすためだけのものではありません。

煙突内部で温められた空気が上昇すると、炉の中へ新しい空気が引き込まれます。

その空気によって燃焼が促され、さらに高い温度を生み出すことができます。

つまり、燃焼室から溶解室、煙道、煙突へと続く空気の流れ全体が、一つの装置として計画されているのです。

キャンプで薪ストーブ以上に火力が出て大活躍する「ロケットストーブ」。

皆さんも一度は見たり聞いたり使ったりしたことがあるのではないでしょうか。

ロケットストーブを何倍にも大きくしたものが、韮山反射炉です。

韮山反射炉は用途も規模もまったく異なりますが、入口から出口までの流れを考えるという点では、現在の建築にも通じるものがあります。

ここで面白いのが、建物の配置そのものが、生産できる大砲の大きさに関係していることです。

韮山反射炉で考えられているのは、熱や煙、溶けた鉄の動線です。

どこで燃料を燃やし、どこで鉄を溶かし、どのように一か所へ集めるのか。

人ではなく、材料やエネルギーの動きを中心に空間が組み立てられています。

建築における「動線」は、必ずしも人が歩く道だけではないのだと気づかされます。

レンガ造りの建物...ではない?

現在の韮山反射炉を見ると、赤みのあるレンガと、建物を囲む鉄のフレームが印象的です。

その姿から、幕末のレンガ建築として紹介したくなります。

しかし、現在見えている姿が、そのまま稼働当時の外観だったわけではありません。

現在露出しているレンガの外側には、かつて漆喰が塗られており、操業当時は白い塔のような姿をしていたとされています。

また、周囲を囲む鉄のフレームも、反射炉を長く保存するため、後の時代に補強されたものです。

現在の姿には、建設された幕末の技術だけでなく、建物を現代まで残そうとしてきた保存の歴史も重なっています。

古い建物を見るとき、私たちはつい「建設当時からこの姿だった」と思ってしまいます。

しかし建築は、完成した瞬間の状態のまま残り続けるものではありません。

風雨や地震に耐えながら、修理や補強を繰り返し、少しずつ姿を変えていきます。

建物を保存することは、単に古い材料をそのまま残すことではなく、どの部分を残し、どこを補強し、どの時代の姿を伝えるのかを考える設計でもあります。

つくられた鉄製大砲は、わずか4門

実は韮山反射炉で鋳造された鉄製大砲は、4門だったとされています。

「たった4門」と言うべきなのか、それとも「4門もつくることができた」と言うべきなのか。

現代の感覚で見れば、これだけ大きな施設をつくりながら、生産できた大砲が4門というのは、効率が悪いようにも感じます。

しかし、韮山反射炉が稼働していたのは江戸時代末期です。

コンピューターによる計算はもちろん、参考にできる国内の事例や、詳しい施工方法が十分にそろっていたわけでもありません。

当時の人々は、オランダ語で書かれた技術書を読み解き、日本にある材料と技術を使いながら、手探りで反射炉を完成させました。

鉄がどのくらいの温度で溶けるのか。

炉の内部をどのような形にすれば、熱を集中させられるのか。

高温に耐えられるレンガを、どの材料でつくればよいのか。

現在なら計算やシミュレーションで確認できることも、実際につくり、火を入れ、失敗を重ねながら確かめていくしかありませんでした。

そう考えると、4門という数字の見え方も変わってきます。

何もないところから西洋の技術を読み解き、千数百度の熱を扱う建物をつくり、実際に鉄を溶かして大砲の形にする。

4門という結果以上に、その製造を実現する仕組みを、幕末の日本でつくり上げたこと自体に大きな意味があったのだと思います。韮山反射炉で鋳造された鉄製大砲は江戸へ運ばれ、海防に用いられました。

韮山反射炉の特徴的な姿は、見た目の美しさを求めて生まれたものではありません。

鉄を溶かすための炉があり、炎と熱を反射させる天井があり、燃焼を促すための高い煙突がある。

必要な機能を一つずつ積み重ねた結果、あの形になっています。

建物を見るとき、私たちはつい、

「変わった形をしているな」
「格好いい建物だな」

と、外観だけを見てしまいます。

しかし、「なぜ、この形なのだろう」と少し立ち止まって考えると、その建物がどのように使われ、何を実現しようとしていたのかが見えてきます。

韮山反射炉は、熱や煙、溶けた鉄の流れを操るためにつくられた、巨大な装置のような建築です。

幕末の人々が試行錯誤を重ねながらつくり上げたその姿は、建物の形には必ず理由があることを教えてくれる、建築のひとコマでした。