【気まぐれ旅日記⑮】農民が意地で掘りぬいた、リアルダンジョン

こんにちは!長野で注文住宅・デザイン住宅を手がけている「ALOHA100」設計の中澤です。
旅先で出会った景色や歴史、思わず立ち止まった場所を紹介する「気まぐれ旅日記」。
今回は、琵琶湖にある西野水道です。

“水道”と聞くと、飲み水を運ぶ水道管のようなものを想像しますが、ここにあるのは山を貫く巨大な放水路です。

しかも、その始まりは江戸時代。

たび重なる洪水から村と田畑を守るため、農民たちが自らの手で山を掘り抜いた場所なのです。

駐車場から歩いていくと、山の麓にぽっかりと大きな穴が現れました。

これが西野水道……かと思いきや、目の前にあるのは昭和に造られた二代目の水道と後で調べてわかりました。

西野水道には、江戸時代に掘られた初代、その後に造られた二代目、そして現在も放水路として使われている三代目の三本があります。

現在、二代目は琵琶湖側へ抜けるための通路として利用されており、中を歩いて通ることができます。

入口は大きく、コンクリートで整えられているため、最初はそれほど怖さを感じません。

しかし、一歩中へ入ると空気が一変しました。

外の暑さが嘘のようにひんやりとして、聞こえてくるのは自分の足音と、どこかで落ちる水滴の音だけ。

奥へ進むにつれて外の光は届かなくなり、振り返っても入口は小さな白い点にしか見えません。

壁には岩を削った跡が残り、足元には通行用の板が敷かれています。

十分に洞窟探検らしい雰囲気ですが、この時点ではまだ序の口でした。

暗闇の先に小さな光が見え始め、しばらく歩くと、ようやく反対側へ。

そこで待っていたのは、先ほどまでの暗闇とは対照的な、穏やかな琵琶湖の景色でした。

朝の湖面はほとんど波がなく、空や木々を鏡のように映しています。

少し前まで真っ暗なトンネルの中にいたこともあって、目の前が一気に開けた瞬間の気持ちよさは格別でした。

これほど穏やかな景色を見ていると、なぜわざわざ山を掘ってまで水を通す必要があったのか、不思議に思えてきます。

しかし、山の反対側にある西野地区は、かつて水害に悩まされ続けてきた土地でした。

西野地区は山に囲まれた低地にあり、近くを流れる余呉川が大雨であふれると、水の逃げ場がありません。

田畑は長期間冠水し、せっかく育てた稲が腐ってしまうこともありました。

当時の農民にとって、洪水は単に家が水につかるだけの災害ではありません。

田畑を失うことは、そのまま食べるものを失うこと。

そこで立ち上がったのが、地元・充満寺の住職だった西野恵荘です。

恵荘は、村の西側に立ちはだかる山を掘り抜き、たまった水を直接琵琶湖へ流すことを考えました。

今なら重機で山を掘ることもできますが、工事が始まったのは1840年、まだ江戸時代のことです。

もちろん、油圧ショベルもトンネル掘削機もありません。

彦根藩から許可を得た恵荘と村人たちは、能登や伊勢から石工を招き、槌とノミを使って硬い岩盤に挑みました。

普段は田畑で鍬を握っていた農民たちが、今度は村を守るために山へ向かったのです。

西野水道では案内所でヘルメットと長靴を貸し出しています。

しかし、今通ってきたトンネルは広く、水もなく、「ヘルメットいらないじゃん」と思うほどでした。

結局分からず仕舞いなのかなと案内所に戻ると...

「んん?こっちの穴は何だ...?」

絶対こっちが目的の西野水道。

そう確信してヘルメットをかぶりました。

入口は二代目よりもはるかに小さく、周囲を草木に覆われ、奥には真っ暗な空間が続いています。

ここから先が、農民と石工たちが約6年の歳月をかけて掘り抜いた本当の西野水道です。

中へ入ると、先ほど歩いた二代目とはまるで違う光景が広がっていました。

人ひとりが通れるほどの狭い空間。

むき出しの岩盤。

何重にも組まれた補強材。

そして、足元には水がたまり、歩くたびに長靴の音が暗闇へ響いていきます。

これはもう、完全にリアルダンジョンです(笑)

しかも、観光客を楽しませるためにつくられた洞窟ではありません。

目の前にある一つひとつの凹凸が、約180年前の人たちが村と暮らしを守るためにつけた跡なのです。

全長はおよそ250メートル。

工事には1,275両もの費用がかかり、現在の金額に換算すると約5億円ともいわれています。

これだけの資金と労力を投じても、村人たちには完成させなければならない理由がありました。

懐中電灯で壁を照らしながら進んでいくと、岩盤が大きく迫り出し、さらに通路が狭くなっている場所もあります。

機械で正確に削られた現代のトンネルとは違い、形は不規則で、場所によって幅も高さもばらばらです。

硬い岩に阻まれ、工事が思うように進まなかったこと。

途中で石工が掘削を断念したこと。

落盤の危険にさらされながら、それでも掘り続けたこと。

洞内に残る荒々しい岩肌を見ていると、その苦労が少しだけ想像できるような気がしました。

そして、恐る恐る進んでいると、音もなく急に何かが目の前から飛び立ちました。

「うわ!!」

思わず声を上げます。

そう、コウモリです。

リアルダンジョン感が、さらに増してきました(笑)

もちろん襲ってくることはありませんが、すぐ頭上にぶら下がっている姿を見つけた瞬間は、さすがに足が止まります。

先の見えない暗闇、水滴の音、足元を流れる水。

現代の私たちは懐中電灯を持って入ることができますが、江戸時代の人たちはわずかな明かりを頼りに、この山を両側から掘り進めました。

どこまで掘れば向こう側につながるのか。

本当に位置は合っているのか。

今のように正確な測量機器もない時代です。

それでも工事を続け、1845年、ついに山の両側から掘り進めてきた穴がつながりました。

その瞬間の喜びは、どれほど大きかったのでしょう。

再び外へ戻ると、琵琶湖は相変わらず静かでした。

今では穏やかな水辺の風景にしか見えませんが、この湖へ水を逃がす道をつくることは、かつての村人たちにとって悲願だったのです。

鍬を握る手で槌とノミを持ち、硬い山へ挑んだ農民たち。

そこにあったのは、立派な機械でも、豊富な知識でもありません。

自分たちの村は、自分たちの手で守る。

そんな意地だったのだと思います。

暗く狭いリアルダンジョンの先に広がっていた、明るく穏やかな琵琶湖。

この景色は、約180年前の人たちが掘り続けた先に見ていた“希望”そのものだったのかもしれません。

西野水道は、ただの古いトンネルではありません。

冠水と洪水に悩まされてきた農民たちが、槌とノミ、そして意地で山を掘り抜いた、暮らしを守るための道でした。

最後に、写真だけでは伝わらないリアルダンジョンをお届けします。

ぜひ音ありで見てみてくださいね(笑)