【建築のひとコマ⑧】重要な港町には、なぜ立派な倉庫が残るのか?

こんにちは!長野で注文住宅・デザイン住宅を手がけている「ALOHA100」設計の中澤です。
建物の形や納まりに隠れた工夫を、設計を学んだ視点から紹介する「建築のひとコマ」。
今回は、京都府舞鶴市にある赤レンガパークを中心に紹介します。

横浜、函館、酒田、そして舞鶴。

古くから海運や対外交流、軍事の拠点として発展してきた港町には、なぜか大きく立派な倉庫が残っていることが多いです。

横浜や函館には赤レンガ倉庫があり、酒田には白壁の土蔵造りの山居倉庫があります。

使われている材料も、保管していた物も、倉庫が建てられた目的もそれぞれ違います。

それでも、港町にこれほど大規模な倉庫が必要とされたのはなぜなのでしょうか。

船によって一度に運ばれてくる物資は膨大です。

港に到着したからといって、すぐにすべてを別の場所へ運び出せるわけではありません。

荷揚げした物を一時的に保管し、検査し、仕分けし、鉄道や道路を使って次の場所へ送り出す必要があります。

つまり倉庫は、単に「荷物を置いておく建物」ではなく、船から陸へ、海から街へと物資を受け渡す、港の物流の中心でした。

港の規模が大きく、扱う物資が多くなるほど、それを受け止める倉庫にも大きさと堅牢さが求められます。

では、なぜレンガだったのでしょうか。

当時の日本では木造建築が一般的でしたが、港の倉庫には食料や輸入品、燃料、武器など、失うことのできない大量の物資が集まります。

そのため、木造よりも火に強く、風雨にも耐えやすいレンガ造は、物資を守る倉庫に適した構造でした。

さらに、明治時代の日本にとってレンガや鉄骨は、海外から導入された新しい建築技術でもあります。

現在ではどこか懐かしさを感じる赤レンガですが、建てられた当時は、日本の近代化を象徴する最先端の建築だったのでしょう。

今回訪れた舞鶴は、貿易港として発展した横浜や函館とは少し性格が異なります。

舞鶴湾は、湾口が狭く周囲を山に囲まれた、波の穏やかな天然の良港です。

その地形を生かし、明治34年に日本海側唯一の海軍鎮守府が置かれました。

現在の舞鶴赤れんがパークに残る倉庫群も、舞鶴鎮守府の軍需品を保管するため、明治34年から大正10年にかけて建てられたものです。

砲銃や弾丸、小銃、魚形水雷をはじめ、艦艇や海軍施設を維持するためのさまざまな物資が保管されていたといいます。

赤レンガ倉庫を近くで見ると、倉庫という用途だけでは説明できないほど、外観が丁寧につくられていることに気づきます。

レンガで描かれた窓上部のアーチ、壁面を区切る柱状の出っ張り、軒や妻面に重ねられた水平のライン。

同じ形の窓や柱が規則正しく並ぶことで、巨大な壁面に心地よいリズムが生まれています。

装飾を目的とした華やかな建築ではありませんが、それでも、必要な構造と機能を整然と並べた結果、軍港を支える施設としての威厳が感じられます。

そして、倉庫の足元で気になったのが、地面に残された二本の鉄の線。

最初は装飾か何かだと思いましたが、よく見ると、その線は大きな扉に向かってまっすぐ延びています。

これは、かつて倉庫の中まで引き込まれていた鉄道の線路です。

明治37年に軍港引込線が開通すると、多くの倉庫の内部まで線路が敷かれ、貨車によって物資が直接運び込まれるようになりました。

現在見られる線路には、当時の設計図をもとに復元された部分もありますが、ここに鉄道が走っていたことを伝える大切な痕跡です。

特に大規模な5号棟には、蒸気機関車が直接乗り入れていたといいます。

だから倉庫の扉はこれほど大きく、線路と一直線につながっているのですね。

船から荷物を下ろし、貨車に載せ、倉庫の中へ運び、そのまま再び別の場所へ送り出す。

建物単体ではなく、港、鉄道、倉庫が一つの物流システムとして設計されていたことが分かります。

建築は形を考えるだけでなく、人や物がどのように動くのかを考えるものです。

地面に残る二本の線から、100年以上前の設計者たちも同じように「動線」を考えていたことが伝わってきました。

さらに今回は、偶然にも赤レンガ倉庫の保存修理現場を見ることができました。

修理されていたのは、建築から120年以上が経過した赤レンガ6号棟です。

建物全体を覆うように組まれた足場は、普段目にする住宅の足場とは比べ物にならない規模でした。

無数の支柱と筋交いが倉庫を包み込み、さらにその外側には、屋根を覆うための巨大な仮設屋根が架けられています。

まるでもう一棟、鉄骨の建物がつくられているような迫力です。

文化財の修理では、傷んだからといって単純に新しい材料へ取り替えることはできません。

古い窓や建具を一つずつ調査し、残せる部材はできるだけ残しながら、屋根や壁、床を修理し、耐震補強を施していきます。

立派な足場は工事の規模だけでなく、120年以上前の建物を次の時代へ残すための、慎重な作業の大きさも表しているように感じました。

港町に残る立派な倉庫は、決して見栄えのためだけにつくられたものではありません。

その大きさは港を行き交った物資の量を、その堅牢さは守るべき物の重要性を、そして線路跡は海と陸をつないでいた物流の仕組みを伝えています。

現在は観光施設として静かに並ぶ舞鶴の赤レンガ倉庫。

しかし建物の扉と地面の線路を見ていると、貨車が倉庫へ入り、軍需品が次々と運び込まれていた頃の動きが、少しだけ想像できる気がします。

港の表舞台が海や船だとすれば、倉庫はそのすべてを裏側で支えていた建築です。

だから重要な港ほど、倉庫もまた大きく、強く、そして立派につくられていたのでしょう。