【気まぐれ旅日記⑥】初めてなのに、なぜか懐かしい

こんにちは!長野で注文住宅・デザイン住宅を手がけている「ALOHA100」の中澤です。
今回はいつものような旅先の紹介ではなく、旅をしていて昔から不思議に思っていたことについて書いてみようと思います。
皆さんは、初めて訪れた場所なのに「懐かしい」と感じたことはありませんか?
私は旅先でそんな感覚になることがよくあります。
宿場町を歩いている時。
寺社仏閣に参拝した時。
国鉄時代の列車を見た時。
廃線跡や古道を歩いた時。
もちろん私はその時代を生きていませんし、その場所に来るのも初めてです。
それなのに、なぜか心の奥がじんわり温かくなり、「懐かしい」という感情が湧いてくるのです。

例えば、古民家の囲炉裏を眺めていた時。
囲炉裏のある暮らしを経験したことはありません。
それなのに、揺れる炎を見ていると不思議と落ち着きます。
きっと昔はここで家族が集まり、ご飯を食べたり、お茶を飲んだり、たわいもない話をしていたのでしょう。
実際には知らないはずの風景なのに、なぜかその場面が自然と頭に浮かんできます。

ある日訪れた宿場町。
石畳の道。
木造の建物。
夕暮れ時に灯る明かり。
何百年も前の旅人たちも、同じようにこの道を歩き、同じ景色を見ていたのかもしれません。
気付けば観光地を見ているというより、その時代を想像しながら歩いている自分がいました。

山の奥にひっそりと残る集落にも、不思議と心を惹かれます。
派手な観光施設があるわけではありません。
しかし、そこで暮らしてきた人々の時間が風景の中に溶け込んでいるように感じます。
朝起きて畑へ向かう人。
夕方になれば家へ帰る人。
そんな何気ない日常が、今も静かに残っているような気がするのです。

小さな無人駅も好きな場所の一つです。
列車を待つ人。
通学する学生。
迎えを待つ家族。
駅そのものは変わらなくても、そこで交わされた会話や日常は数え切れないほどあったはずです。
ホームに立っていると、そんな光景がふと頭に浮かんできます。

特に心を惹かれるのが廃線跡です。
「廃線」の言葉通り、今はもう列車が通らなくなり、遺構だけが時代に取り残されたように静かに残っています。
例えば写真のトンネル。
これは旧北陸本線の親不知トンネルです。
立派なレンガ造りのトンネルですよね。
トンネルの前に立つだけでも十分迫力がありますが、一歩足を踏み入れると不思議な感覚に包まれます。
目の前には誰もいないはずなのに、様々な光景が頭の中に浮かんでくるのです。
力強く走り抜ける蒸気機関車。
その煙で真っ黒になったトンネルの天井。
開通の日を目指して、一つひとつレンガを積み上げていった作業員たち。
ここを通って通学した人。
旅に出た人。
故郷へ帰った人。
もう線路は剥がされ、周囲は木々に覆われています。
それでもこのトンネルは、まるで今でも列車が来るのを待ち続けているかのように、静かにそこに立ち続けています。
私はそんな姿にも強く惹かれるのです。

山の中で、ふと昔の街道のような地形に出会うことがあります。
ただの山道なのかもしれません。
しかし、そこに人が歩いた痕跡を見つけると急に景色の見え方が変わります。
何百年も前、この道を旅人が歩き、商人が荷を運び、村人が行き来していたのかもしれません。
人の姿はなくなっても、その足跡だけは地形として残り続けています。

道端のお地蔵様を見つけると、つい足を止めてしまいます。
誰が置いたのか。
いつからここにいるのか。
詳しいことは分かりません。
それでも長い年月の間、旅人や地域の人々を見守り続けてきたのでしょう。
通り過ぎる人が手を合わせたり、花を供えたり。
そんな何気ない営みが何世代にもわたって繰り返されてきたことを思うと、不思議と温かい気持ちになります。

伊勢神宮の参道を歩いていた時も、特別な感覚がありました。
参道に立ち並ぶ大木。
木漏れ日が差し込む静かな空間。
ただ歩いているだけなのに、自然と背筋が伸びます。
二千年近くもの間、多くの人がこの道を歩いてきました。
遠くから何日もかけて参拝に訪れた人もいたでしょう。
そう考えると、自分もまた長い歴史の流れの中を歩いているような気持ちになります。

建築を学んできた身として考えると、人は建物や風景そのものを見ているのではなく、その場所に積み重なった時間を感じているのかもしれません。
古い建物や風景には、人々の暮らしや思い出が染み込んでいます。
だから私たちは「古いから懐かしい」のではなく、その場所で生きた人々の営みを無意識に感じ取っているのではないでしょうか。
もしかすると「懐かしい」という感情は、自分の記憶ではなく、その場所に積み重なった誰かの記憶を少しだけ追体験している感覚なのかもしれません。
私は旅が好きです。
旅をする中で、もちろん名建築や美しい景色を求めることもあります。
しかし気付けば、遺構や廃線跡、古い街並み、寺社仏閣など、人々の営みの痕跡が残る場所へ足が向いています。
それはきっと、そこに積み重なった誰かの記憶に触れたいから。
もしかすると私は、「懐かしさ」を探して旅をしているのかもしれません。





